こんにちは
かじた式骨盤整体スクール代表・ライフ快療院南浦和本店院長・一般社団法人日本骨盤矯正普及協会代表理事の梶田です。
「公務員(埼玉県職員)だった私が整体院を開業して、今は整体スクールも主宰しているのか?」についてお話したいと思います。
ちょっと長いですが、良かったらお付き合いください。
院のHPの「経歴」にも「元埼玉県庁職員」と記載しているので、たまにお客様から「先生って埼玉県庁の職員だったんですね〜」と驚かれることがあります。
個人的には驚くことなのかなと思うのですが、一般的に「公務員を辞めて独立開業する」ということはあまりないようなので、多分少し私は変わっているのかもしれませんね(笑)
就職活動の時は「バブル絶頂期」だったので、そんなに優秀でなかった私も何社かの民間企業から内定を頂いていました。
いざ、大学を卒業という時に漠然と「このまま、就職してしまっていいのかな?」という疑問が湧き上がってきて、特にやりたいこともなかったのでとりあえず安定している「公務員」になろうと考えて、半年間の「過去問」をひたすら解きまくり、覚えまくってなんとか「埼玉県一般上級職員」に合格することができました。
そんな感じでの社会人スタートだったのですが、最初は「公務員」として県民の皆様のために頑張ろうと決意して、仕事に取り組んでいました。
しかし、もともとやりたい!と思っての仕事ではなかったので、月日が立つにつれてやる気が失せていきました。
県庁内で何回かの異動を経験の中で、仕事が楽しい、職場の雰囲気のいい部署もありましたが、「何か」満たされずに「エネルギー」が分散している感じで、物足りない日々を過ごしていました。
そんな時に、仕事で県内の様々な職種の方々を訪問してインタビューする機会をいただきました。
そこで、いろいろな方々と接するうちに「公務員以外の仕事」という選択肢もあるのではないかと思い始めたのです。
しかし、自分が何をやりたいのか、どうしたいのか、さっぱりわからずにいたので、どうずればいいのかわからないまま漠然と与えられた仕事をこなしていました。
そんな時期に歩くのもつらい「腰痛」になり、様々な病院で検査をしたのですが原因がわからず、困ってしまいました。
はり灸やマッサージや電気治療、薬、気功、そして祈祷なんかも受けましたが、一向に良くならない時に「カイロプラクティック」に出会いました。
それまで、どのような治療を受けても改善しなかった腰痛が、劇的に変化したことに驚きました。
30歳を目前にその感動を思い出した私は周囲の猛反対を押し切って県庁を辞めて、カイロプラクティックの専門学校に行くことにしました。
家族は最後まで反対していましたが、母が「そこまでお前が言うのなら、頑張りなさい!」と言ってくれて、再出発をすることにしたのです。
今考えると、「何が自分をそこまで突き動かしていたのか」「なんと無茶苦茶なことをしたんだ」と思いますが、その当時の私が「根拠のない自信」と「先が見えないけどワクワクした感じ」を心に抱いて専門学校に通ったことを今もよく覚えています。
独立開業する事を目標としていたので、学校の授業だけでは足りないと思い、ありとあらゆる「セミナー」に参加し、「本やDVD」も片っ端から見まくりました。
また、いろいろな治療院、整体院、カイロプラクティック院に行き、「自分の身体」を使って体験で様々なテクニックを体験しました。
自分が腰痛持ちだったので、効果を実感できたのは大きかったです。
そして、学校を卒業して、約9ヶ月の準備期間を経て、2002年1月18日に埼玉県南浦和に「ライフ快療院」をオープンさせました。
しかし、自己流での経営法だったため、3年間赤字が続きました。
そのような状況を打破すべく一念発起し、お客様の層を20代〜40代の女性に絞り込み、メニューもお客様目線で見直し、今まで学んだカイロプラクティックや整体の技術や知識を元に独自に開発した「かじた式骨盤矯正法」を施術の軸に取り入れ、特に「産後の骨盤矯正」に特化したコースを押し出すことにより、集客及びリピート率が次第にアップしていきました。
その頃に、院を見学に来た整体専門学校の後輩からの依頼で「かじた式骨盤矯正」を手が空いた時にレクチャーしていましたが、段々と依頼回数が増えたので、整体スクールを開講することにしました。
おかげさまで、かじた式骨盤整体スクール修了者は、350名を越えました。
もっともっと、「かじた式骨盤矯正」を日本中に広げていくことで沢山の方々の「健康」と「美」に貢献できるように整体スクールの展開にも力を入れていきます。
ぜひ、かじた式骨盤整体スクールで学んで頂き、自信を持ってお客様のお体の不調を改善できる施術法を身につけて、地域の健康に貢献してください。